糧を得ることはダメなのか

こんにちは、霊視鑑定士ロジエです。

今日は、スピリチュアルな世界でお金や糧をいただくことはダメなのか、についてお話しさせていただきます。

まず、神道では、日々の自然の御恵に感謝する祝詞が、朝に読むための神拜詞というしおりにあります。大祓詞も載っていますがそれは特別な時に読むもので、毎日読んでもいいですが時間がない人は、中にある神棚拜詞を読まれるといいですし、一言お声をかけて出かける方は略拜詞でも構いません。

私たちは、神道は自然信仰と考えており、古来から太陽や水、光木々や山々の恵みを神々からの賜り物と思って暮らしてきました。そのことに関する感謝がちゃんと、神棚拜詞の中には含まれています。それは糧ですから、本当に自然に暮らすことに、罪悪感は持たなくても良いのです。それが神道です。惟神(かんながら)の道、と言いまして神様と一緒に歩む世界です。ですので、現代においてお金を得ることは同じですから、おめでたいことだと言えます。

また、仏門では托鉢、というものがあり、一番下の位の法衣を着て、お経を上げながら空になっているお茶碗にお米をいただく、というものでした。現在ではお金でも良いようです。これは貧しい人の気持ちを学んだり、糧を得られること、食べられることの幸せを考えるための修行ですが、同じように糧を得ることはダメなことではない、と教えていただけます。

また、キリスト教でも、日々の糧をお与えください、御恵に感謝します、というお願いごとの祈り方の一部にそのテンプレートがありますので、同じように感謝と糧をまたお願いします、ということが綴られています。

貧しい人には施しを、御心や懐に余裕のある方にはお支払いをいただき、みんなが幸せに糧を得られるようになればと思います。

糧を得ることに罪悪感がある、というのはどういう思想から来ているのかはまだ調べがついていませんが、またのちに謎の解明に挑みたいと思います。

大きな宗教的観点では、糧を得ること、御仏や神様のことで皆さんと同じように糧をいただくことは、お仕事お役目を通して快く働いた喜びと共にいただける御恵みとして、大事にいただきます。

苦しいな、と思う設定をされている方は、こういった観点もありますよ、ということで、安心を得ていただければと思います。

一番貧しい方が、いるとしたら、私もではお心で、と申し上げることもございます。ご相談くださいね。

 

ロジエ

 

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